いろんな人たち

ライト 思うこと

最善をつくしても

菊

当時のことは、はっきりとは覚えていません

しかし、病状が重くなるにつれ、厳しい判断を求められ続けたことは覚えています

A案、B案、C案、どれもとっても夫はいなくなってしまうのです

その中で夫の安楽を最優先順位としました

そして悲しい日はやってきて、繋いでいた手の温かさはなくなってしまいました

夫はあんなに頑張ったのに、わたしも最善をつくして努力もしました

「こんなことになるなら、もうどうでもいいや」そう思ってしまいました

夫がいなくなったあと

 

1枚の付箋

事務手続きが煩雑だった頃

わたしを大きく変えたことがあります

会社の各部署から膨大な書類が連日届き、途方に暮れていました

その中に、ある部署のものだけ(A部署とします)締切が近いものからクリアファイルに整理して入っていました

区役所に取りに行かなければならないものの種類、総数、そうでないものの一覧も作ってありました

「亡くなる人の手続きに慣れているんだな」と思っていました

誰もいなくなった家の中で、書類をうめていく作業

ペンの音が静かに響く寂寥感

出来上がった書類から、仕事に行く途中にポストに入れました

しかし何度も書類の差し戻しがありました

気を取り直し、再び書類を訂正してポストに入れる、その繰り返しの毎日

ただ、A部署の方だけ必ず付箋がついていて

「ここを修正をお願いします、後は何も問題なかったことを申し添えておきます」とか

「期限があることですが、少し休みはとれておられますか」など必ず一筆添えられているのです

心配と興味の差

各部署との書類のやり取りの中で、遺族を相手にするのは面倒だろうなあと伝わってきました

「かわいそうな人」「不幸な人」「わたしは耐えられない」「すぐに健康診断に行かせたわよ」

これらは当時、ぜんぶわたしが受け取った言葉です(まあ、そう思いますよね)

顔見知りや親戚からは、夫の病名、最期の様子、お金、ローンなどを聞かれることが多くびっくりしました

でも顔も知らないそのA部署の方は、小さな付箋の中に、わたしの生活に思いを馳せてくれる

それがうわべだけのものかは、書類の整理の仕方、言葉遣いから伝わってくるものがありました

その人の背景を考える

コーヒー

悲しみを無駄にしない

書類なんて言葉どおり「事務作業」です

ただ、その付箋に添えられている温かい言葉は、投げやりになっていたわたしには衝撃でした

人の悲しみ、その向こう側の見えない背景を思うことができる

それはひとつの能力だと思います

悲しい思いをしたら身につくものでもありませんし、生来持っている人もいます

それ以降、仕事や人間関係で問題がおきたときには

普段の付き合いからは見えない、じつは隠されている何かがあるのではないかと

思うようになりました

みんな何かを抱えている

生活していくんですからね、順風満帆なときばかりではありません

すぐすぐどうしようもできないことってあります

できれば知られたくないことだったりもするから、助けてとも言えなかったりします

あの1枚の付箋の温かさ

いま、この人はそうせざるを得ない何かがあるんだろうな、と背景をまずは考え、

静かに気遣うことができるような人になりたいと思うようになりました

いろんな人がいてもいい

人々

答えたくないことには答えない

さて、興味本位であれこれ聞いてきた人は、意外と身近な人でした

だいたい聞かれることは一緒です

はじめは驚き、失望し、嘆いたりしていましたが、その辺の自己コントロールもうまくなりました

「沈黙」です!

興味本位で聞かれることに腹を立てて、自分の感情のコントロールもできないようじゃだめですよね

0か100かで考えない

これを聞かれたから今後一切付き合わない、となると周囲に誰もいなくなります

それ以外のいいところを探して、適切な距離感をはかりながらつきあっていくようにしています

でもやっぱり、苦手になってしまう人もいます

そんな時はその人の変なとこををみつけてこっそりニヤッとしています

(寝癖が変とか、あんまり性格はよくないかもですが)

結局のところ、いろんな人がいていいんだと思います

その人には、そうせざるを得ない何かかあるんです

答え合わせはいつも後にやってきて、「あー、あの態度はそのせいだったのね」と合点がいく

だいたいそういう結末になっています

 

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