本当は、いなくなった人と一緒に生きているということ

たんぽぽ 思うこと

もう会えなくなったひとびと

空

自分が年齢を重ねるにあたり、もう会えなくなってしまったひとが少しづつ増えてきました

不思議とその方がいなくなってしまうと、

一緒に過ごした日々が、より一層何者にも代えがたい宝物となっていきます

輝くような日々でした

今もわたしの核となり、光を放つのです

決してなくならない、わたしを構成する大切な部分です

 

M先生の命日にあたり

ある日の新聞

新聞

17歳のある日の、確か成人の日の朝刊だったと思います

新聞配達を終えてまだ家族は眠りの中、凍える指で音がしないようにそっと紙面を開くと

紙面の半分くらいの広さを使って、ある詩が載っていました

「生きる」谷川俊太郎氏

その詩に胸をうたれて、ぽたりと涙が落ちました

家族も読むものだから汚さない様にと、出来るだけ上等な紙を探して書き写し、志望校の問題集に折ってはさみました

両親から、経済的な理由で進学を諦めるよう言われていた時でした

詩の中で

かくされた悪を注意深くこばむこと

でペンが止まり

自由であること

書き写しながらペンを握りしめました

あの日、偶然あの詩を読んでいなかったら、わたしは進学を諦め、理不尽さや不公平さを

理由にして、半分あきらめていた人間になっていたと思います

どうしても進学がしたかった

本

当時なりたい職業がありました

受験料と受験のための旅費は2年かけてコツコツ貯めました

挟んだ詩を広げては繰り返し読み、必ず進学すると誓います

重要な書類に限って、保護者の欄があり、埋められないものがありました

悩みましたが、我が家の事情を知っていた、中学のかつての女性の担任の先生に電話し、会っていただく時間をもらえました

図書館

小さな頃から本が好きでした

特に中学生になってからは、昼休みは図書館に入り浸っていました

放課後は家の手伝いがあるので急いで帰らねばならなかったからです

夢中になって、5時間目に遅れたこともしばしばでした

外で遊ぶのが健康的とされていた時代、昼休みに本ばかり読むわたしに、

怒った体育教師が図書館に入れない様、鍵をかけるようになってしまいました

そんなわたしに時々ご自分のおすすめの本を、そっと貸してくれた先生が当時の担任の先生です

3年ぶりの再会

カフェ

突然お呼び出ししたのにも関わらず、にっこり

口が乾いてなかなか話しだせないのですが、勇気をだして

突拍子もないお願いだけれど「どうしても進学がしたい」と、家の事情も当時と変わらない旨を伝えます

「ここに行きたいんです」と差し出した志望校の問題集を手渡すと、

先生はパラパラとめくる途中、本に挟んでいた紙を手にとられる

紙は何度も読み返してボロボロになり、しかもカレンダーの裏側で

恥ずかしさのあまり咄嗟に取り返そうと手を出そうとしましたが

先生はそれを制止し、紙を広げてじっとみて顔をあげ、「わかりました」と静かに仰った

女子寮に入るというと少し安心された様子でした

またバイト先も紹介していただきました

「ただし条件があります」と言われなんだろうとドキドキしていると

困ったら必ず相談する事」でした

人を頼ってもいいんだと思うと、ほっとして人目も気にせずに泣いてしまいました

卒業した時には証書を持って会いに行きました

なりたい職業につけたのは、先生のおかげですと言うと困ったような笑顔でこう仰った

「あの詩を大事にしていたあなたが、どんな生き方をするのか楽しみになったのよ」

 

谷川俊太郎先生
言葉は時に人生を決定づけることがあるんだな、と知りました
その言葉の素晴らしさを教えてくださりありがとうございました
M先生
17歳のわたしを信じてくださりありがとうございました
一昨年から先生の年賀状が来なくなり、寂しさは募るばかりです

今、わたしは先生に恥じない様な生き方をしているでしょうか

そちらに行くのはまだ怖いけれど、

先生からお借りした詩集の中で、お返しする際

「何が一番好きだった?」聞かれ、恥ずかしくて言えず

先生は何がお好きだったかも聞けなかったのが残念で、そんな話をさせていただきたいです

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