「もう一度がんばって、再婚してね」
冬の陽が珍しく、明るく暖かい日でした
在宅で療養していて、リビングの介護ベッドに横になりながら
「もう一度がんばって、再婚してね」
わたしが背を向けている時に言ったのでした
そう言ったのは亡くなる5日前でした
驚いて、振り向いたけれどしばらく何も言えず
やっとの思いで「あなたが生きてさえいてくれれば」と言うと
さらに、「大丈夫、君ならできるよ」と柔らかく笑います
今思えば、あれが夫のお別れの挨拶だったんだろうと思います
「さようなら」でもなく「ありがとう」でもなく
これからのわたしの未来にむけてくれた
優しいお別れの言葉だったんだろうと思います
ある朝に
夫を見送り、まだ肌寒い桜が咲き始める前の季節の頃、
早朝なんだか目が覚めて
布団に横になったままぼんやりウトウトしていた時です
夫の香水がかすかにしたのです
ラベンダーがベースの、複雑で洗練された夫らしい懐かしい香り
その頃、夫と一緒に眠っていたベッドではなく
客間に布団を敷いて寝ていました
わたしや夫は無宗教です
その日は数えてみるとちょうど四十九日でした
それはただの偶然かもしれないけれど
最期にお別れに来てくれたのかもしれない
なんとなく確信して、「彼らしいなあ」と少し笑えて
そしてもう、本当に2度と会えないことなんだなと
事実をあらためて突きつけられて
しばらく涙がとまりませんでした
関係性がなくなったからといって
離婚した友人が
「わたしはまだ誰も幸せにしていない」と言いました(本人許可)
きっとこの決断に至るまでは、相当の痛みを伴ったのでしょうし
結果だけみれば、パートナーとの関係性が破綻したように見えるかもしれません
わたしはその友人の結婚式にも出席しましたし
お子さんたちの成長も折にふれて見てきました
その時は確かにキラキラと幸せそうでした
パートナーの関係だけではありません
友人関係も時に変化して疎遠になってしまう場合がありますよね
関係性が途切れてしまったからといって
そのお付き合いが間違いだった訳ではないと思うのです
関係性が続いたのが1ヶ月であろうが50年であろうが根本は同じで
終わったからといってすべてがゼロになるわけではないと思います
その人との関係性が短くても長くても
その期間に受け取った幸せはあるはずで
その人を幸せにしたことも紛れもない事実です
人生はそれの繰り返しなのだと思います
金婚式を目指して50年結婚生活が続いた人は
それはそれで素晴らしいことです
短く終わった結果だけをみて
「誰も幸せにしていない」なんてことにはなりません
どんな関係性にもきらめく幸せな時はあったはずで
それを忘れてはならないと思います
(DVなどを除く)
ご縁があれば
ひとりでも、周囲との関係性を大事にして幸せな人はそれで何よりです
ただ、死別後でも離別後でも、ご縁があれば幸せになることに躊躇しないでと思います
新たな人と出会い、一緒に生活したいと思える
それはとてつもなく幸せなことです
幸せは、逃がしてはなりません
日本は特に何かと人のことに口出ししがちですけど
さっさと幸せになったもの勝ちだと思います
ご自分の幸せを第一に考えてもらいたいと思います
わたしの場合
「愛は溢れゆく」と渡辺和子先生の著書にありましたが、
日に日に弱っていく夫との伴走に、
そして世の中で最も怖かったことが起きてしまったことで
わたしの中の愛は、今は枯れてしまいました
もうあんなふうに、あの熱量で人と暮らせないのです
夫の優しい言葉はありがたいけれど
わたしが再婚したい人は「死なない人」になってしまいました(笑)
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