夫を亡くした直後、「ご主人の分まで生きなきゃ」とよく言われました。久しぶりに会った同級生には、じっとしばらく見られて一言、「かわいそうな人」と。
あの頃のわたしは、人の言葉にいちいち傷ついていました。この記事は、同じような言葉に今まさに傷ついているあなたへ——そんな言葉に耳を貸さなくていい理由と、受け流せるようになるまでの話です。
励ましご無用
悪気はないんですよね。長寿の時代、若くして伴侶を失う人が珍しく、どう声をかけたらいいかわからないだけなのだと思います。
本当に深い悲しみを知っている人ほど、何も言いません。言えないのがわかっているからです。
だから、安易な励ましに応える必要はないのです。もう十分、頑張っているのだから。強くならなくてもいいんです。
なぜ、こんなに傷つくのか

一緒に暮らしていると、その人を信頼して預けていたものが必ずあります。それは自分の命の一部分といっても過言ではないと思います。
それを失うということは、自分の一部分を失うこと。残念だけど、失くしたものは二度と戻りません。
半身になったわたしが「夫の分まで生きる」など、そもそも不可能なのです。まずは半身になった自分を、生きながらえさせること。それだけで精一杯で、いいのです。
振り回されていたのは、わたし自身だった
当時は人の言葉にいちいち反応しては悲しみ、嘆き、腹を立てていました。次第に人の目を気にして、できるだけ人と関わらないように。そうすると世界が狭くなり、より頑なになっていきます。
あるとき気づきました。人の言葉にこんなに揺れるのは、これからのわたしにとって何が大切で、何を守っていくのかが、まだ定まっていなかったからだと。
支えになったのは、「夫婦であることは終わっていない」と思い出すことでした。姿は見えなくても、わたしの中で夫が心配している姿は想像できるのです。
ちなみに「かわいそうな人」と言った友人は、後から、あちらのご夫婦の問題での八つ当たりだったとわかりました。なるほど納得、です。
受け流すための、わたしの工夫

- 多少の「社会的な仮面」をつける——ずっと暗い顔をしていると、周囲は「どう接したらいいかわからない」と離れていってしまうので
- 人と比較しない——インスタグラムやXはハレの日ばかり。見る時間だけ無駄だと思っています
- 好きなものをバロメーターにする——花や空を見上げて「きれいだなあ」と思えるうちは大丈夫
- 傷ついた日は庭に出る——咲いている花は、何を言われたか忘れるくらいの美しさです
神に仕える人でも、手が震える

20年ほど前、渡辺和子先生の講演を聴いたことがあります。著書「美しい人に」はわたしの大好きな一冊です。柔和な笑顔に穏やかな話し方、思ったよりも小柄な方でした。
2.26事件の際、自宅で父親を目の前で銃殺された先生は、数十年後にその加害者の家族と会うとき、手が震えたとおっしゃっていました。
毎日神に仕えている先生でもそうなのですから、わたしなど言わずもがなです。心ない言葉にため息をつきそうになるとき、ああ、わたしも人間らしいなと思うことにしています。
悲しみは、感謝と似た色合いになっていく
時間が経てば、生々しい感情は薄れていきます。それでも大事な人の不在は変わらないし、悼む気持ちは生涯なくならないと思います。
ただ、大切な人を亡くした悲しみは、いつからか感謝と似た色合いになっていきます。それだけ、亡き人が素晴らしい日々をくれたことに気がつくからです。
悲しみの澱は、時間をかけて深い底に静かに沈殿していき、いつか芳醇な香りを放つワインのようになったらいいな、と思っています。




コメント