その花屋さんは、完全予約制です
扉はいつも閉まっていて、店内は暗く、外から中の様子はうかがえません
正直に言うと、わたしの中で「入りにくいお店ナンバーワン」です
でも、センスは抜群にいい
そしてここは、亡き夫がよく花束を買ってくれていたお店でした
花は「贈られるもの」だった

わたしにとって、花はずっと「贈られるもの」でした
誕生日に、記念日に、ときには何でもない日に
夫があの重い扉を開けて、わたしのために選んでくれるもの
これまでが、そういう人生だったのです
だから、自分のために花を予約した時は、少し恥ずかしかった
「自宅用です」と言うのも、なんだか照れくさい
受け取った花束は、簡単な紙にくるりと包まれていて、中身は見えませんでした
無口なお兄さんの前で包みを開けて確かめる勇気もなく、お礼を言って、そそくさと出口に向かいます
中身は気になる。でも恥ずかしい。早く外に出たい
ドアが開いた瞬間、息を呑んだ
そんなわたしに、お兄さんが店のドアを開けてくれました
その瞬間、外からの光が差し込んで、包みの中のひまわりに当たったのです
花びらの一枚一枚、おしべの一本一本にまで、光が届いている
暗い店内では見えなかったものが、一度に目に飛び込んできました
生きている、と思いました
思わず息を呑んで、「すごい」と声が出てしまいました
無口なお兄さんの前だということも、恥ずかしかったことも忘れて
すると、お兄さんが静かに言いました
「百合も入れておきましたよ」

見ると、百合はまだ蕾です。ひまわりの陰に、ひっそりと
中身が見えないと不安に思っていたのに、見えないところにまで、ちゃんと心が配られていました
家に飾って数日もすれば、ひまわりと入れ替わるように開くのでしょう
つまりこの花束には、「今日の見頃」と「数日後の楽しみ」が両方入っているということ
先の楽しみまで束ねてくれたのだと、帰り道に気がつきました
無口な人の仕事は、雄弁です
生きているひまわりと暮らす

家に帰って、花瓶に生けました
それから一日に一度、よく切れるハサミで茎を少し切り、減った分の水を足します
切り口を新しくしてあげると、花は水をよく吸うのだそうです
ひまわりは、切られてもまだ生きています
少しずつ顔の向きを変えて、水を飲んで、咲き続けている
その命の美しさに、圧倒されます
部屋の中に「生きているもの」がいる。それだけで、空気が変わるのです
デザートを買うように、花を買う

この花屋さんのインスタに、こんな言葉がありました
「デザートを買うように花を買いにくる人がいます。花を手にした後ろ姿は、2センチくらい地面から浮いているように見える。豊かな人生だと思う」
自分のことではないかもしれません
それでも、読んで少し泣きそうになりました
仕事でも、学歴でも、年齢でもなく、ただ「豊かだ」と言われたような気がしたからです
誰かと比べてではなく、花を抱えた後ろ姿ひとつで
花が好きな自分でよかった、と心から思いました
失っていないもの

わたしは、色々なものを失ってきました
夫を見送って、家の中の風景が変わって
花を贈ってくれる人も、もういません
それでも、ひまわりに息を呑める自分は、失っていませんでした
きれいなものを、きれいだと思う力。これは誰にも持っていかれていなかった
そして、贈られるのを待たなくても、あの重い扉は自分で開けられると知りました
折れてしまった芽も、根は別のところへ伸びていくといいます
いつかまた、違う場所で花を咲かせる
ひまわりを抱えて歩きながら、そんなことを考えていました
たぶんわたしの後ろ姿も、少しだけ浮いていたと思います
2センチと言わず、3センチくらい
わたしがわたしであることは、まだ失っていない
それだけで、今日は十分な気がしました
おわりに

あなたにも、「これが好きな自分でよかった」と思えるものはありますか
もしあるなら、それはきっと、誰にも奪われない豊かさです
わたしの場合は、それが花でした
少し恥ずかしくても、これからも自分のために、あの扉を開けようと思います




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