こころが揺れた時
昨年のドタバタ手術で思いがけず
生きることについて深く考える事になりました
夫が亡くなってからは、命について真剣に考えてきたつもりでした
それは本当です
しかし「さあ、今、命を差し出せ」となると惜しくなるのです
生物としての本能なんだろうと思います
自分の命への考え方の薄っぺらさを突きつけられ、
年を上手に重ねていくことの難しさを
痛感した出来事でした
手負いの獣のように過ごす
手術の結果は大方の予想を覆す良い結果でした
「あなたはラッキーな人だ」と主治医が言うほどに
兄や子どもに友人、職場、医療スタッフも「良かったね」という結果です
わたし自身のQOLもほぼ術前と変わりません
しかし、退院し休職中のわたしは、家にこもって過ごしていました
傷を隠しながら、まるで手負いの獣のようにジッとしていました
1日誰とも話さない、買い物は最小限にして
できるだけ誰にも会いたくないのです
確か以前、こんなことがあったな、と考えますと
夫を亡くした直後に似ているのです
あの時「これからはひとり」と思い知った夜
暗闇に押しつぶされそうになりながら
丸まって眠りについていたあの頃です
今回は、命を失うことを本気で思い「病気は弱点」と考えていました
そして「ひとりで生きていく」ということは
「ひとりで終わっていく」ことを受け入れることなんだなと考え、
その覚悟をすることが怖くて、誰にも会う気がおきませんでした
強制的に社会復帰
術前、相当の職場の協力を得たので
「とりあえず復職はせねば」と気持ちを奮い立たせます
復職の日、2ヶ月近く人と関わってないので、なんだかドキドキします
当日、全く眠れず緊張して職場に向かいます
30年前の入社の時を思い出します(若かった)
いざ上司や同僚と会うと、皆さん優しく迎え入れてくださり
業務も昨日までやっていたかのように、定時で退勤となりました
誰も嫌味や文句もなく、術前と変わらず
病気のことに興味で触れないのです
職場の自然な対応にあっけなく復職できて
その何気ない、人の優しさになんだか泣けてきます
休職中、病気になった自分を
迷惑で恥ずかしい存在だと、勝手に思っていました
揺れたっていい
病気の後の自分は
以前のように健康だけが取り柄の自分ではなくなってしまいました
そして老いも感じていました
これまでのセルフイメージが崩れて
グラグラと揺れてしまう自分に戸惑ってしまいます
今後、病気になればまた命が惜しくなり、
誰かに助けてほしいとみっともなく
右往左往するんだと思います
「それでいいんじゃないかな」と思うようになりました
「ひとりの最期」を一気に覚悟するのは、なかなか難しく
問題をひとつづつ、ゆっくりと飲み込んでいく時間が必要だと思います
助けてほしいと言えるかどうか
しかし今、本当に「ひとり」なんでしょうか
思い返せば、兄、子ども、友人、上司、同僚、医師、看護師さん、
顔も知らなかったけれど、話を聞いてアドバイスをくれた医療機関の皆さん
「困っている」といえば、皆さん手助けをしてくれました
「SOS」を伝えることこそが大切で、
そこから誰かと繋がり、支援の輪が広がったように思います
重要なのは、勝手に「ひとりぼっち」だと決めつけないことと、
「助けてほしい」と言える勇気ではないでしょうか
今を大切に
先のことを考えるとどうしようもなく不安になってしまいます
病気は「弱点」ですし、年々老いも感じます
そして何より、「病気」と「老い」が重なると不安と孤独感が倍増します
夫が亡くなってから、わたしひとりの初めての危機
命の危険は、わたしの「ひとりで生きる覚悟」まで揺さぶったけれど
わたしの「SOS」にそれぞれ力をくれた人たちがいました
だとしたら今後、なにか困ったことがあったとしても
「SOS」と言えたなら何とかなるんじゃないかなと思うようになりました
できるだけのことは自分でするけれど、相談先は複数考えておき
「ここの部分を助けてほしい」と言える自分になろう
そうすれば、今回のように
大体のことは解決するのではないでしょうか
だったら、今に集中して生きよう
「今、ここ」にフォーカスを当てよう
勝手にひとりの未来が不幸であるなんて断定しないでおこう
誰もが悪性を疑わなかったわたしの病気が
思いがけず良いものであったように、
将来を確実に予測などできないのです
まずは部屋にこもっていた間、枯れた寄せ植えに、
ビオラとローズマリーを追加して可愛くしよう
そして今夜、部屋の窓に当たる粉雪を見ながら
アイスでも食べて楽しもうと思います
(暖かい部屋で食べるアイスって美味しいですよね)
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