自分の言葉で伝えることをさぼらない

ペン 思うこと

ひととつながるツールの変化

電話

夫は、よく転勤がありました

その頃はPCやスマホはない時代でした

当然LINEやインスタはもちろん、メールもなく

簡単に連絡先を交換もできませんし、唯一の連絡手段の電話です

県外にかけるとお高くなるので、

はがきやお手紙で転勤のお知らせをするという時代でした

その後はみなさんご存知の便利な時代の到来です

スマホで誰とでも、直接会ったことのない人とも簡単につながることができるようになりました

伝えたい気持ち

サーチ

定型文の功罪

仕事上のメールでも時候の挨拶などは、失礼のないように1度検索しますよね

特に、慶弔事に関しては機会も少ないので、より失礼のないように、必ず定型文を確認します

お悔やみごとならなおさらです。

定型文を使うのは失敗しない最適解だと思います

夫が亡くなった時もたくさんのお悔やみのお手紙をいただきました

すべて定型文だったように思います

お返しのお手紙を書かなくちゃ、と検索してみますと

さすがGoogle「上司」「同僚」「部下」「友人」シチュエーションやバリエーションも多彩です

いただいたお悔やみのお手紙に、わたしも失礼のないように定型文を駆使してお返ししました

今となっては、自分が書いた文章でしょうに、まったくおぼえていません

定型文が悪いわけではありません

関係性があまり深くなかったりする場合、とりあえず形を整えるのに役に立ちます

何事も使い様ということですね

 

一通の手紙

手紙

初盆が近づいた頃、1通の封筒が届きました

宛名はわたしです

差し出し人は夫の仕事関係の方で、名前に見覚えはありますが、直接お会いしたことはありません

おそるおそる封を開けました

そこには季節の挨拶もなく、お世辞にも達筆とは言えない文字が綴られていました

(以下簡単に内容を要約します)

 

僕はご主人と一緒に仕事をしたことがありません

しかし、ご主人が転勤した後に、僕が赴任するという形が不思議とずっと続いていました

仕事は、後任の僕が使いやすいよう整理されていました

それはどこに赴任しても変わりませんでした

遠くにいても、頑張っておられるものと、いつも頭の片隅にご主人の存在がありました

訃報を受け、大変ショックで言葉にできず、どうしていいかわかりませんでした

でもお盆の前には何か伝えなければと、今になってしまいました

 

一文字一文字、時間をかけ、逡巡し、言葉を選んだのがわかる筆圧で綴られていました

文末にはわたしと子どもへの気遣いも添えてありました

 

定型文でも、お悔やみの言葉、お手紙、弔電、その想いに変わりはないと思います

ただ、伝わってくる熱量が圧倒的に違います

その人が自分の言葉を真剣に選んだ文章だからです

 

自分の人生が終わり、もしこんなお手紙が1通もらえたなら、

この世の合格点はクリアしたのではないかと思うほど印象的なお手紙で、

お気持ちはしっかり受け止めました

気持ちを伝えようとするときに

人々

今はスマホでも、次にどんな文字が出てくるか簡単に予測変換してくれます

AIなんて、小説家並みに言葉を並べます

 

「そんなつもりで言ったんじゃないのに!」

日常生活の中にも行き違いがあるときがあります

よく、人に伝わるのは3割などといいますが

だいたい、感情的になって話すとうまくいきません

それは本当に自分が使いたい言葉だったかな?

そうじゃなくて、自分は相手に何を伝えたいのか、

感情的にならずに、本当に伝えたいことを整理して、自分の言葉を大切に探す

何か伝えたいときにこれさえ間違えなければ、だいたいのことは伝わると思っています

普段から、自分の気持を自分の言葉で伝えることをさぼらないことです

これが最期、という時に慌てて言葉を口にしようとしても、

眼前の厳しい状況に何も言葉が思い浮かばないからです

 

 

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