自分の価値は自分で決める
夫亡き後、これから自分のために生きてみよう思うようになりました
わたしの最大の優先事項は「自由」です
ひとりの自分も、よくやっているじゃない、と言いたいのです
今は、わたしの居場所は夫と過ごしたこの場所です
親と子の関係性
わたしの両親は年齢なりに元気です
田舎の農家出身で、長男信仰の人たちです
ですから、高校卒業後、進学を反対していた両親からの経済的な援助はありませんでした
合格はしたものの、働きながら単位を落とさずに取っていくというのは至難の業でした
そこはもう、若さと意地だったように思います
40年経った今でも、「後期の授業料が足りない!」と夢に見て慌てて起きることがあります
親が望むわたしの役割
両親の家のすぐ近くに、兄夫婦は住んでいます
兄夫婦とうまくいっているのでしょうに
夫がいなくなって、母から「実家に帰ってくるように」との催促をのらりくらり躱していました
実家に戻る理由を尋ねると「女が自由であるのが許せない」と言われ驚きました
「まだまだ2人は元気なんだからいいじゃない」
「必要な時は手伝いに帰るから」と言ってもなかなか納得できないようでした
なんだかんだと実家に戻ろうとしないわたしに母は腹が立ったのでしょうね
「じゃあ、今度会う時はわたしの葬式のときやな」と言ったのです
ちなみに随分昔の曲にはなりますが、藤井隆のナンダカンダは名曲だと思います
どんな親でも親は親
父は父で「旦那がいなくなった後は、俺たちの面倒をみてもらう」と
夫の葬儀のときに棺の前で言いました
驚いたけれど、当時はいろいろすることが山積みで放っておきました
文字にするとひどい親のようにみえますね
しかしそんなことはなくて
兄とは区別した分の、わたしへの愛情はありましたし受け取りました
両親との関係性を例えるなら、静かな宗教戦争のようなものだと思います
両親は「長男信仰」わたしは「無宗教」
信仰が違うとなかなかわかりあえないのは歴史が証明しています
でも、どんな親でも親は親で、その要求をのんでしまいそうになるときがあります
しかしさすがに自立して40年、いまさら都合のいい女にはなれないなあ
弱っていく夫に懸命に伴走したあの時と同じ熱量で、もう2人の親は送れません
両親に対し、わたしができることの一部分はお手伝いをさせてもらおうと思っています
もしかすると後悔するかもしれません
でも、わたしはわたしの居場所を、自由を手放さないと決めました
居場所は自分で決める
好きな詩人のひとりに、石垣りんという方がいます
石垣りんが詩を書いていたのは、家族を支えていた時期だけで
50歳でひとり暮らしをするようになってから、詩は書かなくなったとか
当時の女性が定年まで働くには様々な葛藤があったかと推察されます
家族の中の位置づけ、社会で働き続ける女性としての立場、
そしてその時代からさえも、勝手に自分を評価される理不尽さ
「表札」
自分の住むところには
自分で表札を出すにかぎる。
自分が寝泊まりする場所に
他人がかけてくれる表札は
いつもろくなことはない。
(中略)
精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りんは、家族のために14歳から家計を支え続けた人でした
この詩を書くために生まれてきたのではないかというほどの経験をして
紡いだ言葉にはキッパリとした決意があり、大好きです
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