こころの「ごみ箱」が溢れないようにするためには

ごみ箱 好きなもの

「嫌な記憶」が輝くとき

ごみ

思い出すと腹立たしいことや、悔しかったことは、

さっさと「こころのごみ箱」に入れることにしています

PCと違うのは、それを強制的に空にできないところでしょうか

ごみ箱に入れたつもりでも、ふと記憶が蘇るときがあります

「わ!嫌なこと思い出しちゃった」と苦々しく思うのですが

あれ?ちょっと待って

わたしのその捉え方は正しかったのかなと

考え直すときがあります

「ごみ箱行き」にしていた記憶が

時間をおくと、別の意味を持って輝き出すことがありました

おかしいのはわたしの方だった

指

当時、病気の夫を抱えてながら、忙しく働いていました

おそらく精神的な余裕がなかったんだと思います

その時、同僚から「いざという時は生活保護があるから」と言われて

とても腹が立ったのを覚えています

時間が経ち冷静になれば、夫を亡くすわたしに

金銭的な不安だけでも

取り除こうとしてくれた言葉だったと分かります

でもわたしは内心

「なんて失礼なことを言うんだろう」と思ったわけです

その人の優しさやアドバイスの真意がこころに届かなかった

かなり、重症で追い詰められていたんだと思います

捨てた物の中に希望がみつかるとき

宝物

自分の身を置く場所や、とりまく人が変わると、

これまでの経験や考えと全く違った

ものの捉え方になるときがあります

「嫌な記憶」だと思っていたものが、実はとても大切なものだった

人には失敗や反省、

辛さなど嫌な記憶から希望を見出す能力が

あるのかもしれません

だから「こころのごみ箱」は、PCとは違い

強制的に空にできないようになっているのかもしれませんね

希望を見出す能力があれば「こころのごみ箱」は

溢れないのかもしれません

「ま、いいか」とスルーする

完璧はない

普段の人とのちょっとしたすれ違いも

「あちらもそうせざるを得ない何かがあった」と思えば

「まあいっか」「仕方がないね」とそこで終わり

「わたしはわたしでいいのよね」と思って

切り替えて次にGO

それを繰り返していくと、スルーする力もついたように思います

時間がもったいないから、自分の人生に集中しなくては!

映画から学ぶもの

映画館

「鬼滅の刃 無限城編第1章 猗窩座再来」

を観に行きました

前回作「無限列車編」で、煉獄さんと戦った鬼が主人公です

鬼には鬼にならざるを得ない事情がありました

鬼になる前の「記憶」を思い出し、捉え直すことで

事態は大きく変わります

しかし、日本のアニメーションは素晴らしいなと思います

これは実写?と思うほどの風景や、動物の動きです

おまけでもらったもの↓

鬼滅の刃

時間を味方につける

時計

「無限列車編」から5年が経ち

今回の「猗窩座再来編」も素晴らしかった

時間は確実に過ぎていきます

話の流れからして、次回作もありそうな予感がします

また5年くらいしてからでしょうか、楽しみです

過ぎて時間を味方につけて

その時「こころのごみ箱」の容量が減っているといいなあ

日々、小さな楽しいことを見つけていこう

むかし、その同僚と観に行ったのがこれでした

鬼滅の刃

鬼滅の刃 公式ポータルサイト

同僚は、この映画で煉獄さんが好きになりました

今年、リクエストで誕生日ケーキを

煉獄さんの顔写真のケーキにしてお祝いしました

煉獄さんじゃないけど「心を燃やし」て

希望を見つけていきたいものです

 

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