頑張らなくてもいいということ

会場 好きなもの

「亡くなった人の分まで」という励まし

時計

夫を亡くした直後、

「あなたがいつまでも悲しんでいたらご主人がうかばれない」

「ご主人の分まで生きなきゃ」とよく言われたものでした

本当にそうなのかな?と思いながらも日常は過ぎていきます

夫の声が聞けなくなってもう数年が過ぎました

あの頃の自分に言ってあげたい。

そんな、励ましに耳を貸さなくていいということを

励ましご無用

はげまし

ではなぜ周囲の人は励ますのでしょうか

とにかく日本は長寿となりました

そう簡単に人は死ななくなりましたよね

おそらく、若くして伴侶を失くすなんて人が珍しく

どう言葉がけしたらよいかわからないからだと思います

悪気はないんですよね

本当に深い悲しみを知っている人ほど、何も言いません

言えないのがわかっているからです

なので、安易な励ましに応える必要はないのです

もう十分、頑張っているのですから

強くならなくてもいいんです

失った後でしかわからないこと

ろうそく

伴侶を見送った直後は、ただ呆然とするのではないでしょうか

病気の経過などで、ある程度予測し、わかっていたことであっても、

その伴侶に、自分自身の一部を預けていた部分があったということは

いなくなってみないとわからないからです

生前、それぞれ仕事をしていて自立していたとしても、

時々違う時間を過ごしても、多少は嘘があったとしても

一緒に暮らしていると、その人を信頼して預けていたものが必ずあります

それは自分の命の一部分といっても過言ではないと思います

それを失う

つまり自分の一部分を失う

失くしたものは二度と獲得しないものです

そして半身になったわたしが

夫の分まで生きるなど、不可能ということがわかります

まずは半身になった自分を、

とりあえず生きながらえるようにするために

相応の工夫が必要となります

好きなことを思い出して自分を癒す

芽

夫や子ども中心に生活していた頃、毎日が慌ただしく過ぎていきました

若かりしわたしは何が好きだったっけ

そういえば、オーケストラとか好きだったな

先日、日本フィルハーモーニー交響楽団の演奏に

ひとりで行ってみました

ちょっときれいめの服を着て、ヒールを履いてみます

(この日、雪だったのでドキドキしましたが昼から溶けて良かった)

約30年ぶりのオーケストラ、これが素晴らしかったのです

会場は満席で、ひとりで来ている方も多く

それぞれに楽しんでいらっしゃる

こうやって、自分を癒やす作業を繰り返していく

それが、少しづつ新しい自分をつくっていくのだろうと思います

とりあえず仕事やご近所の方に、ニコニコとできるようになったわたし

「少し疲れたな」と思ったら楽しいことをやってみることにしています

それには自分のペースで、無理せずが肝心です

日本フィル

演目

覚書

チェロ 宮田 大

ソリストアンコール カザルス 鳥の歌

アンコール     エルガー 愛のあいさつ

悲しみの性質は変わっていく

ぶどう

時間が経てば、あの頃の生々しい感情は薄れていきます

けれど、どれだけ時間が経ったとしても、

大事な人の不在は変わりませんし、

おそらく悼む気持ちは生涯なくなりはしないと思います

ただ、ずっと暗い顔をしていては周囲に人が寄ってこなくなります

「どう接したらいいか分からないから、距離を置こう」と思うのは当然ですよね

多少の「社会的な仮面」をつけることは必要かもしれません

わたしの深い悲しみはわたし自身が寄り添おう

ひっそりと悲しみとともに生きていこう

そうすると、

それだけ、亡き人が素晴らしい日々をくれたことに気がつきます

大切な人を亡くした悲しみは、感謝と似た色合いになっていきます

時間をかけて、悲しみの澱は深い底に静かに沈殿していき、

いつか芳醇な香りを放つワインのようになったらなと思います

 

 

 

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