悲しみのあとの時間が教えてくれたこと

ひまわり 思うこと

夏に思う

コンサート

今年は被爆80年で、長崎市が浦上天主堂で主催する

クラシックコンサートに当選し行ってきました

「音楽は悲しみを癒す」と聞いたことがあります

辻井伸行氏のピアノは生きている間に聴いてみたいことの一つでした

5年前も見上げた浦上天主堂

浦上天主堂

夫の両親は長崎に住んでいました

義父母の様子をみるため、

長崎に通っていた時期がありました

今思えば、当時の義父母の認知機能は

わたしが思うより良くなかったのだと思います

夫の厳しい病状を義父母に話しても

なかなか通じませんでした

長男の死が近づいているなんて

認めたくはなかったんだとも思います

神はいない

ハンドル

夕方、義父母宅から自宅へ車で帰るとき

丘の上にいつも浦上天主堂が見えました

レンガ造りの美しい天主堂

「どうしてあの人を」と睨みつけるように見上げ、

これから起こるであろう人生で一番怖いことを想像し

義父母の無理解にがっかりし

ハンドルを握りしめたことを覚えています

十字架

わたしは無宗教ですが、

聖書の言葉で覚えていたものがありました

「願いは聞き届けられた、しかし神のみこころのままに」

わたしには理解できませんでした

「神が人間を愛しているなら、その証拠として願いを叶えるべき」

「願いが叶わないということは、やはり神はいないということね」

そう思っていました

今は、何も持っていないわたし

浦上天主堂

あの日から5年が経ちました

当時恨めしく見上げた浦上天主堂に

再び来るなんて、不思議な気持ちです

あの頃と違って、もう何も持っていないわたし

夫や義母も亡くなり、

義父は施設に入り、もうわたしのことはわかりません

わたしが大事にしていた人たちは

いなくなってしまいました

ひとりになったわたし

なんとなく恥ずかしいような気持ちで教会の席につきます

演目

辻井伸行氏のピアノは

一度でいいから聴いてみたいと思っていました

その演奏は、本当に見えていないのかな?と思うほど滑らかです

音がひとつひとつきらめくような、クリアな感じがしました
(表現としてあっているでしょうか?)

ステンドグラス

日が落ち、ステンドガラスが柔らかく光ります

その中で、田中彩子氏のソプラノは、教会の空気を震わせて素晴らしく

この数年を静かに思い出し

気がつくと涙が溢れていました

今日を生きる

祈る人

認知症研究の第一人者の長谷川一夫先生が

認知症になられたとき

「忘れることは幸いである」と仰り、驚いたことがありました

それはキレイ事だと思ったのです

しかし、今のわたしはどうだろう

夫を亡くし、悲しみの深さは変わらないけれど、

あの日の生々しさは、あまり思い出さなくなりました

生々しさが減っていくことを「忘れる」ということであれば、

「忘れることは幸いである」とは真理です

義父も今は息子の死を忘れています

音楽

「今日を過ごす」

それをひたすら繰り返す

自分でもわからないくらい、ゆっくりな歩み方で

ときに傷つきあきらめ、途方に暮れ、右往左往しながら

振り返れば、ようやくここまでたどりついた感じです

悲しみの中の過ごし方

鐘

今年は終戦から80年

たくさんの人が大事な人を亡くし悲しみにくれました

ただ、どれだけ悲しんでも必ず時間は過ぎていきます

長崎の人たちは悲しみの中、焼け跡から鐘を探し出し、

「平和の音」として毎日鐘を鳴らしたそうです

わたしが夫を亡くした日、まさに絶望の中にいました

それでも

必死で、小さな楽しみや美しいことを探しながら

「今日を生きる」ことだけを繰り返してきました

転んだり、つまづいたりしながら

ただ過ぎていったように思えた「時間」を振り返ってみると

不格好だけど、道になっていました

何もないから響くもの

ピアノ

年を重ねるということは

必死で獲得したものや、大事なものを

少しづつ手放していくことなのだと思います

手放すことは恐ろしいことです

その途中で悲しんだり、傷つくこともあります

長谷川先生は認知機能が衰えていく中、

慰めは、一緒に暮らしていた奥様のピアノの音色だったそうです

今日の辻井伸行氏をはじめとする贅沢な音楽は

大事なものを手放して

傷つき、ぽっかり空いたこころによく響きました

空っぽのほうが音は大きく美しく響きます

そして、わたしを癒やす優しい薬になって、

十分満ちていきました

 

 

 

 

 

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