感情に振り回されないためには

最近、怒りっぽくなったり、つい感情的になってしまうことはありませんか?
そんな時、ただイライラを抑え込むのではなく、
その感情の“奥にあるもの”に気づけたら、心が少し軽くなるときがあります。
怒りや悲しみに振り回されない生き方について、思うことです。
怒る人たち
最近、イライラして怒っている人をよくみます。
公共の場だろうが、相手が子どもだろうが、自分の要求を通すのに必死で、周囲のことは目に入らないようです。
うっかり居合わせると、こちらにも火の粉が飛んできそうなので静かに退散することも
そんな場面に遭遇することはないですか?
「大きな声で怒る人」を見ると裸の王様を思い出します。周囲の優しい人の声や、思いやりが届かず、自分の世界だけで生きているように見えるのです。
悲しみで自分のことしか見えなくなる時

かつて、私も日々に追い詰められていた時期がありました。
夫の具合が悪く、心配で早く帰りたくてたまらない。でもバスは赤信号で止まり、私はイライラしていました。
そんな時、隣にいた同僚が微笑みながらこう言いました。
「コスモスって、揺れてるときに、ないしょ話してるみたいよね」
はっとしました。
同じ車窓を見ていたのに、私にはコスモスが見えていませんでした。
自分のことばかり考えていたからです。
慌てて目を向けると、風にそよぐコスモスが静かに、でも確かに咲いていました。
新しい自分になる決意

自分の不運を憐れみ、怒り、人の時間も自分の時間もムダにしてしまう人がいます。
そんな時、相手がまともな人なら、静かに離れていきます。
そうして気づけば孤立し、不運がさらに重なっていくことも。
では、どうすれば悲しい経験を怒りに変えずにいられるのでしょうか。
それは、
悲しみをちゃんと受け止め、不運に立ち止まらず、
「今ここ」にある再生する力を手放さずに生きていくこと。
「これから新しい自分になるんだ」と心に決めて歩き始めれば、
人を羨んだり怒る暇もなくなります。
日々を必死に生きていると、悲しさはやがて、亡くなった人への感謝のような色に変わっていきます。
周りにある優しさにも、ふと気づくようになります。
人の優しさを、自分の怒りで打ち消してしまわないようにしたい。
そんなふうに思います。
悲しみを知らない人などいない

生きていくことは、「失うこと」の連続です。
だからこそ、悲しみを言い訳にはできません。
正直に言えば、今でも「未亡人」という言葉は好きになれませんし、
できれば自分がそうだと知られたくない。
それは、夫がいないことが、自分のコンプレックスだからです。
でも──
ここまで、紆余曲折ありましたが、
「こんな私も、まあまあ好きだ」と、今では思えるようになりました。
コスモスのないしょ話
ニュースで「コスモスが見頃」と知り、あの日の同僚の言葉を思い出しました。
「コスモスのないしょ話」、今年も聞きに行こう!
ひとりドライブ

コスモスの名所までは、家から車で1時間以上。
実は、コスモスよりもドライブが目的のようなものです。
「車に乗れるうちに行っとかないとね」なんて自分に言い訳しながら、目的地に到着。
やっぱり、美しい場所でした。
ただ、ひとりになってからは、少し肩身が狭く感じることもあります。
家族連れが多く、ふと「ひとりである自分」を思い出してしまうからです。
……おっと、人と比較しないって決めてたんでした。
のんびりと散策していたら、何人かに「写真を撮ってください」と頼まれました。
わたしでも役に立てたことが、嬉しかったです。
秋の美しさにつつまれて

帰り道、空の青、稲穂の金色。
車を走らせながら、赤信号でふと止まると、思わずその景色に見惚れてしまいました。
あの頃、イライラしていた自分とは少し違う。
ほんの少しだけど、ちゃんと変われている気がします。
小さなご褒美

ドライブの最後は、久しぶりのスイーツとコーヒー。
ダイエット中とはいえ、今日は特別。
脳に直接届くような、甘さとカフェインが、
静かに、優しく、心を満たしてくれました。
花は、怒りに気づかせてくれる。
優しさは、悲しみを癒してくれる。
だから、今日も、「新しい自分」を少しずつ歩いていこうと思います。



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